*** Diary (September) ***


 

2002/09/30
MON
午後3時 経済学部の前にて 
 今日は成績表を取りに行く日である。別に何点でもいいので、先延ばしにしていると、今日を逃すと破棄されるという日になってしまった。これは取ったという科目もあったが、取ったのか落としたのか微妙なところだという科目もあった。もし、単位を落としてきたら、関連する書類は悪い思い出と一緒に全て廃棄するつもりである。
 一般教養に関する成績表を受け取り、見ると、一通り単位が出ていた。私の頭の中では、落ちたことになっていた現代の経済学や文化心理学は、不思議なことに落ちていなかった。捨てられることになっていた専門書は、その命を延ばした。次に、生活空間論の96点という文字が目に飛び込んできた。思わず、よしっと叫んだ。この科目は、私を非常に悩ませた。それは、私が来年度の後輩のために「取ってはいけない」という本を書こうかと思わせるくらいであった。実に苦労した。感動した。その後、明らかに単位を落としたと思われる専門科目の成績表を取りに行った。専門科目は一つしか登録していないので、不可とだけ書かれた成績表を受け取るのだろうと思いきや、60点のぎりぎりであった。お情けだなと思いつつも、ご機嫌であった。


 

2002/09/27
FRI
午後7時 北新地の餃子屋にて 
 大学にて課題を済ませ提出するはずが、思ったよりも時間がかかってしまい、来た時間が遅かったこともあって、明日も行くことになってしまった。その後、東京出身の友人に会う。今日は彼を大阪へ案内する。京阪電車で大阪に向かっている途中、バイト先から10月より月曜・火曜ときてもらうことになるがいかがであるかという電話が入る。電車の中ゆえしばらくしてから返答させてもらうことにした。月・火・土に丸をつけた私であったが、月・土あるいは火・土が理想で、月・火が一番来てほしくない組み合わせであった。友人に相談する。彼は行けと言う。確かに月曜・火曜と連続でやることによるメリットはある。しかし、月曜・火曜がバイトで埋まり、水曜・木曜がフランス語、金曜がサークルとなると、本来自由になるはずの後期が意外と前期よりも忙しくなりそうな気がする。そんなことを思っていると、なぜかあの店の餃子が食べたくなった。給料日後の金曜日の夜だから、きっと席は埋まっているだろうと覚悟していた。しかし、雨ということもあり、運良くカウンターの2席だけが空いていた。美味しい餃子を食べ、ビールをぐびぐびしながら、もうすぐ始まる後期に対して、決意を新たにするのであった。


 

2002/09/26
THU
午後8時 バイト先近くのトンカツ屋にて 
 本来仕事が入るはずでなかった今日だが、代わってくれと依頼が来たため、これといって断る理由も見当たらないので引き受ける。休憩の時間は、先輩二人に連れられてトンカツ屋へ行った。ここへ行くのは初めてだ。私は、トンカツ文化で育っていないため、トンカツの旨さがいまいち分からない。ゆえに自分から進んでトンカツ屋へ入ることはなかった。そして、高校の合宿で必ず出てきたアイツは、ガムみたいに硬かったので、少し苦手な存在である。ロースが苦手なのかもしれない。万が一のことを考えて、エビフライとヘレカツの盛り合わせ定食にしたが、これは私の今までのイメージを打破するぐらいに美味しかった。今日はいまいち仕事がもう一つ進まなかったが、いい店を知った。


 

2002/09/24
TUE
午後9時 マルビルのスターバックスにて 
 試写会のチケットをバイト先の子にもらう。高校時代の友人にメールを送り、一緒に見に行く。優香が主演する「恋に唄えば」という映画である。ミュージカル風の映画であるので、途中からしんどくなった。試写会というのは、映画を無料で観れるという点が良いなと当たり前のことを言っているうちに、その後の夕食も安くつけたい気になった。ビルの地下の串カツ屋の予定であったが、最高のものを食べても千円を超えないであろうと思われる店、ザ・どんに変わった。そして、食後のコーヒーをつけても千円を超えないので、スターバックスへ行く。友人は浪人しているのだが、先日のオープンの結果を聞くと、一桁であったと言う。安心すると同時にもし私が浪人していたら、そんなに良い成績が取れたであろうかということを想像し、恐れた。彼は、恐らく来年はうちの大学へ来るであろう。浪人することを思えば、フランス語の再履修など軽いものだ。そう思うと、荷が軽くなった。


 

2002/09/21
SAT
午後1時 南船場のカフェにて 
 2時半からバイトである。朝もちょっと栄養のあるものが食べたい。あの店でピザだ。そこで、南船場に寄る。雑誌やテレビで西の代官山と言われるエリアであるが、意外にもこの日は人が少なかった。大丈夫であろうかと心配していたが、私が行く店は人でいっぱいだった。ここは、スタンディングならばコーヒーの値段が少し安くなる。切り売りピザが来た。この厚み、そしてこの味わいで320円は安い。支払いをする時、レジを打っていたのは、前回来たときに知り合った店員さんであった。しばらく私は行っていなかったのに、彼女は私を覚えてくれているようであった。少し機嫌をよくして仕事場へ向かった。


 

2002/09/17
TUE
午後1時 いつもの店で 
 一月ぶりに大学へ行く。有機農業の授業の発表の準備をするためだ。しばらく学校に行っていないと、自分はここの学生であることを忘れてしまう。いつも通っている道が妙に懐かしく思われた。そのあと、いつもの店で昼食を取る。今日の日替わりは豚肉のしょうが焼きであった。しばしば出てくるので、おそらく、これはこの店の得意料理であろう。ほうれん草の味噌汁がとりわけ美味しかった。思えば、長いこと味噌汁というものを飲んでいない気がする。


 

2002/09/15
MON
午後2時 家の近くの喫茶店にて
 先月、自分の家の近くにカフェがオープンしたというちらしが入っていた。早速、行くはずであったが、行く機会を逃して今日になった。本日のランチと書かれたショーウィンドウを見ると、うどんであった。今までカフェで、さまざまなランチを食べてきた私だが、うどんとは初めてだ。ピラフを注文するが、予想通りまぁまぁであった。残念ながら、お味は私が大学に行く時に、しばしば行く店の方が良い。テレビで漫才が流れている。カラーコンタクトを入れた店員の、カフェにしようと頑張っている気持ちが私には、何となく伝わってくるのであるが、方向を間違えているようだ。ここは、地方にある喫茶店の一つであって、カフェではない。それでは、カフェと喫茶店の境界というものは、どこにあるのであろうかと思った。


 

2002/09/12
THU
午後1時 ロサンゼルスの空港にて
 空港のゲートで引っかかった。鞄を空けられ、中身を確認。彼には、私の目薬が弾に見えたのであろう。無事に通過できたが、それにしても、コンタクトを持っていかないのにもかかわらず、コンタクト用の目薬を入れっぱなしにしていたのがまずかった。不要なものは持っていかないべきであった。思えば、今回は行きも引っかかった。携帯をポケットに入れていたからである。ちなみに、昨日がテロの日であったが、飛行機に乗った人は少なかったようである。仕事を半日で終え家族で過ごした人が多かったようだ。そういえば、機内食のナイフがプラスチック製になったのは、あの日からであったか。


 

2002/09/09
MON
午後3時 メキシコの最北端の町にて
 ロサンゼルスから南へ南へと走ると、そこはメキシコとの国境である。国境近くからバスが出ており、それに乗ってメキシコに入る。バス停の近くに、土産物屋があり、明らかにリーボックを意識したと思われる鞄が売られていた。面白い店であった。その後、革製品の店に入る。そんなに金は持っていかなかったが、向こうは値を引けば買うであろうと思ったようで、最初の値からどんどん違っていった。しかし、本当に持っていなかったのである。また来るといって店から出た。道では、客引きがすごい。「オトモダチ、コンニチハ」「ヨッテイテヨ」「マテ」これらは、まぁよく勉強しているなぁと思ったが、「ネダン、マズシイ」と変わった日本語も聞いた。メキシコに来て、先進国だけで世界というものは構成されているのではないということを強く感じた。


 

2002/09/08
SUN
午後7時 日本食の店にて
 日本食の店へ行く。そこは、焼き鳥屋であるが、寿司もラーメンもやっている。一品も充実している。客も日本人が多く、この店には、日本よりも日本であると言わせる雰囲気がある。ふと、焼き鳥をつまみながら、外国人は日本をどのように理解しているのであろうかということが気になった。どうやら彼らは、寿司は知っているようだ。しかし、日本人の女は皆芸者であると思っているのかもしれないと思ったりした。


 

2002/09/07
SAT
午後4時 スタンフォード大学の庭にて
 スタンフォードまでは遠かった。なんと車で6時間。途中、高速道路5番線を240マイル走らねばならないのだが、同じような風景ばかりで眠くなった。途中、シリコンバレーを通過したが、高速道路からは特にすごい建物は見えなかった。今日は大学が休みのようで、学生はあまりいなかったが、観光に来ている人はちらほらいた。スタンフォードの建物はギリシア風で、世界史の資料にも載っていそうな建物が多かった。ノーベル賞を取った人もごろごろいるようで、銅像がいろんな方向に向いて建っていた。アカデミックな雰囲気でいっぱいだった。はるばる来た記念にシャツを一枚買った。しかし、この大学の周りには、一般的に大学の周りにある学生街といった感じのものがなかった。彼らはどこへ遊びにいくのであろうか。恐らく我々にとっての自転車は、彼らにとっての車なのであろう。


 

2002/09/06
FRI
午後6時 JAL060便にて
 3時間前にチェックインしたので、狙っていた座席を取ることができた。その席とは、非常口の近くの前列の席である。前に座席がないため、足を伸ばすことができてよい。トイレへ行こうと、通路を歩いていると、人の顔の位置がいつもと違うところにあることに驚いた。つまり、3列全て使って横になって寝ているのである。4列使って寝ている人もいた。それだけ空いていたのである。今回は、第一回の機内食までに飲み物を三回も持ってきてくれたので、いつもよりもサービスがいいと思っていたが、全体数が少なかったからであろう。テロの日に近いということが影響しているのであろう。窓から飛行機の翼を見ながら、ニューヨークのビルに突っ込んだ飛行機に乗っていた客は、突っ込む前はどういう感じで乗っていたのであろうということを考えた。


 

2002/09/03
TUE
午後4時 新大阪の駅にて
 東京からおきよさんが来たので、私は大阪を案内する。大阪と言っても、南半分だけである。立花通りや南船場といったファッション地から始まり、松葉屋本舗できつねうどん。グリコの看板を背景に写真を撮ると、法善寺の水掛不動、千日前の道具屋筋を巡り、吉本の近くの路地で熱いたこ焼をつまむ。そして、ビッグカメラで撮った写真を現像させている間、ジャンボカラオケ広場で林檎を歌う。記念に、近くのゲーセンで手術服のコスプレプリクラを撮れば、りくろーおじさんのケーキの列に並び、551の豚饅を持って地下鉄に乗るという忙しい観光であった。
 さて、「東京に負けたらあかん」という意味の歌はあるが、「大阪に負けたらあかん」という意味の歌は聞いたことがない。つまり、始めから大阪など相手にされていないのである。しかるに、東京から来た人間にいかに大阪の魅力を伝えるかが私の課題であったが、また来てくれそうな様子からして、ある程度は、うまくいったように思われる。