*** Diary(August) ***


 

2002/08/18
SUN
午後7時 阿倍野の裏の焼鳥屋にて
 阿倍野の奥にある美味しい焼鳥屋を教えてもらう。奥にあるというのは、ホテル街の近くにあるということである。その店の名前は大阪弁で、まいどであった。なるほど確かに焼鳥は美味かった。また、この店のおばちゃんがとても大阪っぽいのである。男には、男前、女には、べっぴんと呼びかける。一人一本なーと言って持ってくる。ここには、大阪特有の雰囲気があった。大阪にいるのだから、このような独特の雰囲気を味わうことは、一見、簡単そうに思われるが、そうでもない。そういう雰囲気がある店は少ないため、見つけることは意外に難しいのである。


 

2002/08/09
FRI
午後5時 南海電車にて
 難波へ向かう。この時間帯の急行は空いていた。大和川を通過すると、夕陽が見える。ゆるやかな時間が流れている。去年は何をしていたかねぇ。恐らく、勝手に授業をさぼって、大学を見に行っていたなぁ。一年後にこうなるとは想像できなかったなぁ。そんなふうに、ぼっーとしているうちに目的地に着いた。電車が速くなったわけではないのに、最近、電車の時間が短くなったように感じられる。


 

2002/08/08
THU
午後3時 老人ホームにて
 お盆ということで、河内長野へ戻る。久々に、ひいばあさんに会いに行く。老人ホームに行くのは、初めてである。2年ほど会っていないため、私が誰なのかを認識するのに少し時間がかかった。一回り小さくなったように思われるが、声の調子は変わっていなかったので安心した。ここの自動販売機は、おじいさんおばあさんがコインを入れやすいように少し工夫されていた。缶コーヒーを飲みながら、高齢化社会について考えた。


 

2002/08/06
TUE
午前11時 バイト先にて
 見かけない顔を見かける。同級生の友人が来ていた。彼とは、大学入試前日に京都駅で会った以来だ。当時、私と彼は無謀な挑戦者として扱われていたようだ。もっとも、彼の場合は医学部なので、私よりも相手が厳しいのは明白であったが。彼は私を見て驚き、「なんだ、お前、稼いでいるのか」と言った。彼に、教材を渡して、済スタンプを押す。そこには、目には見えない距離がある。こういうバイトをしていると、こういうこともある。


 

2002/08/05
MON
午後2時 兵庫県日吉町にて
 大学のゼミナールで、西村和雄先生の家へ行く。有機農業の現場を見るためだ。弁当持参とのことであったが、そうめんや京野菜の天婦羅などが出てきて、満腹になった。日本の農業が持つさまざまな矛盾点を聞いた後、先生の車に乗って、畑を見に行く。肥沃な土壌かどうかを判定するときに、松の木を見る。伸び具合を見るのである。また、輸入飼料作物がもたらす影響がよくわかった。


 

2002/08/04
SUN
午後6時 大阪ビジネスパークにて
 今日は、大阪市内の祖母の家に泊まる。明日、大学のゼミの関係で福知山の近くまで行くため、朝が早くなるからだ。夜はツインビルの寿司田へ行く。その後、明日行く場所の地図を持ってくるのを忘れたことに気づき、上の本屋で調べる。さて用件はすべて終わった、帰ることにしよう。それにしても、人が少ない。いくら日曜日だからとはいっても、少なすぎる。寂しい感じがする。小さな頃、私はこのビルに力強さを感じていた。ツインビルといえば、松下であった。そして、この二棟のビルが、松下の力を象徴しているかのように小さな私には思われた。しかし、このビルは売却されることになったと聞く。バブルの影響を強く感じた。


 

2002/08/01
THU
午後4時 法経第7教室にて
 今日は前期試験の最終日、経営学である。前の試験から今日までは一週間近く時間があったから、一日一章ずつ教科書をやれば、いけるであろうと思っていた。しかし、現実はそう計画通りにはいかないものだ。結局、過去問の分析と傾向を知ることぐらいしかできなかった。教授は、最後の授業で一問は説明で、もう一問は分数を使う程度の簡単な計算だと言っていた。私には、後者が連結財務諸表における計算方法のことを指しているだろうと思われた。ところが実際は、計算問題などなかった。すべて説明問題であった。計算の過程を覚えていたから、そこから仕組みを説明することになるとは思っていなかった。ここの部屋は、クーラーがないようだ。汗が流れる。試験終了後、久々に友人に会った。今日の試験について話した。経済学が得意な彼でさえ、今回は苦戦したようだ。「大人は嘘をつくねぇ。」そんなことを言いながら帰った。